i2medical合同会社(以下、i2medical)は慶應義塾大学医学部とともに、ウェアラブルデバイスを装着するだけでうつ病のスクリーニングと重症度評価が可能な「デジタルうつ病診断支援医療機器」を研究開発中です。この技術はすでに特許を取得しており、「SWIFT」というプロジェクト名で大日本住友製薬が加わり、事業化に向けて研究を進めています。

「SWIFT」ではリストバンド型のデバイスを用いて生体・活動データを収集し、そのデータと機械学習アルゴリズムによって、患者さんの抑うつ症状の検出及びうつ病の重症度を推測するシステムの開発を進めており、医師が診断する際に判断材料となる情報を提供する仕組みを目指しています。

うつ病は本人や医師ですら状態を正確に把握することが難しい病気であることが知られています。抑うつ症状を客観的に伝えられるコミュニケーションツールをつくることができれば、現在のうつ病を取り巻く環境が大きく変わる。心の風邪と言われるうつ病をこじらせる前に適切な対処ができる。そんな社会を目指すプロジェクト「SWIFT」をご紹介します。

日本のうつ病の現状と、客観的データ測定の難しさ

日本におけるうつ病の生涯有病率は5.7%※1。社会的コストは年間3.1兆円※2と言われています。

うつ病は労働世代の罹患が多く、それゆえに産業保険分野において大きな問題です。企業にとってもうつ病の予防・復職後の再発予防は重要課題となっており、新型コロナウイルス感染症の拡大の影響もあり、うつ病の増加は世界的により大きな課題となってきました。

しかしながら、うつ病や精神疾患の臨床現場は「有効な客観的指標が存在しないことで評価が困難である」難しさを抱えています。インタビュー、質問紙による気分・睡眠・食欲などの点数化によって臨床現場は対応していますが、患者さんの主観を排除できず、客観性の乏しさや評価者間の不一致がどうしても現れてしまいます。そのため、医療の質の均質化が図りにくいという課題が存在します。

例えばうつ病において、思考のテンポが遅くなったり考えが進まなくなったりする症状を「思考制止」と言います。これは動作にも影響を及ぼすため、患者の受け答えや反応速度を客観的に観察することが可能です。それゆえ、うつ病の診断においてある程度客観的に評価可能な指標だとされています。

しかし、「思考制止」という症状も、「患者の反応速度がこれくらいであれば思考制止とする」という明確な基準があるわけではありません。それゆえ「思考制止の有無」の評価にも、精神科医の主観が入ることは避けられません。うつ病治療が難しい根本原因には、客観的な評価に限界があること、心の状態の正確な把握が難しい事情があるのです。

また、訓練を受けていない精神科以外の医師にとっては特に、初期のうつ病の診断は難しいと言われており、患者さんが身体愁訴や不眠を訴えても精神科への紹介が遅れてしまうケースも存在します。多忙な医療現場ではうつ病の評価を実施しないこともあり、患者さんが適切な治療にたどり着くまでに重症化するリスクが高まる構造になっています。

うつ病の客観的な評価を目指す「SWIFTシステム」

リストバンド型のウェアラブルデバイスを装着することで、
うつ病のスクリーニングや重症度の評価を可能にする医療機器の開発を目指す

i2medical・慶應義塾大学医学部・大日本住友製薬の協業プロジェクト「SWIFT」では、リストバンド型のデバイスを装着するだけで、うつ病のスクリーニングや重症度の評価ができる医療機器の開発を目指しています。

本プロジェクトが目指すのは、抑うつ症状を客観的に評価し共通言語でコミュニケーションできるツールを提供することで、患者さんと医師、非専門医と専門医のコミュニケーションの質を上げ、うつ病に悩む人の助けになることです。

「SWIFTシステム」を用いることで、抑うつ症状について客観的かつ定量的な情報を得られると期待されます。客観的な指標に基づく医学的な判断でうつ病に対処できると、早期発見あるいは早期治療に結びつき、誰もが生き生きと働ける健やかな社会が実現できると考えています。

近年、IoTや小型センサー技術の発達により、活動量や睡眠などの活動データや、心拍変動や脈拍、皮膚温などさまざまな生体データを日常生活の中で連続的に収集できるようになりました。

「SWIFTシステム」では、これまで単一の指標では評価が難しかった抑うつ症状を、デバイスに搭載された複数のセンサーで得られる様々な生体・活動データを総合的に評価することで、うつ病の診断における客観的指標の提供を目指しています。

さらに、AIを用いた機械学習技術の発達により非常に多数の指標を同時に取り扱って、複雑な予測モデルを構築できるようになりました。これにより、今までより多くのデータを用いた解析が可能となり、精度の高いうつ病のスクリーニング・重症度評価の可能性が見えてきています。

Silmeeで取得した加速度データの例

「SWIFTシステム」で使用するデバイス「Silmee(シルミー)」は、TDK株式会社が販売する腕時計型のウェアラブルデバイスです。加速度センサー、脈拍センサー、温度センサーに加えて、紫外線センサーやマイクを内蔵し、各センサーで取得したデータからはさまざまなパラメーターが算出可能です。例えば加速度や歩数、消費カロリー、会話量、睡眠時間、睡眠の質、脈拍などが取得できます。

「Silmee」で測定されたデータは自動的にクラウドにアップロードされ、解析にかけられて医療機関へ送付されます。そこで精神科医による診断のための客観指標や、治療効果の判定、治療選択の判断材料、さらには再発兆候の同定、復職・復職タイミングの判断をする手助けとして用いられることを想定しています。また、精神科ではない非専門医が「SWIFTシステム」を利用し、精神専門家医への紹介の指標とすることも考えられます。

さらに「SWIFTシステム」の客観的指標を治療効果判定に用いることで、治療の最適化にもつながると考えられます。短期的には治療薬の変更の必要性などを把握するために、長期的には患者さんの抑うつ症状の変化を確認する目的で活用されることが期待されます。

産学連携の特許技術を活かし、事業化を目指す

「SWIFT」プロジェクトは、i2medical・慶應義塾大学医学部・大日本住友製薬の三者が共同で取り組んでいます。この背景には、i2medical社の代表・岸本氏が慶應義塾大学医学部精神神経科学教室の専任講師を兼任していることが挙げられます(2022年現在、岸本氏は慶應義塾大学医学部ヒルズ未来予防医療・ウェルネス共同研究講座の特任教授となっています)。

岸本氏の研究室は精神医学と先進的な技術をもつ多領域との融合によるイノベーションを通じて、これまで解決できなかった精神医学の課題解決をミッションに掲げ、自然言語処理や機械学習、先進的なセンシング技術、遠隔診療などの技術によって、精神疾患の評価や治療の研究に取り組んできました。

この研究室のメンバーが中心に立ち上げた会社が、i2medicalです。研究内容をより早く社会に還元するには、自ら事業化することがベストだと考えての試みです。

今回「SWIFT」プロジェクトでi2medicalは、精神科医と社内のデータサイエンティストが知恵を絞り合って、「SWIFTシステム」の“心臓”といえる機械学習によるうつ病評価アルゴリズムの開発と精度向上を図る役割を担っています。

今回、大日本住友製薬との「SWIFT」の原型となったのは、「PROMPT」と呼んでいた研究です。カメラやマイクで捉えた表情や態度、音声、ウェアラブルデバイスを用いた日常のモニタリングデータを使って機械学習を行い、うつ病などを評価する研究に取り組んできました。この技術が特許を取得できたタイミングで、大日本住友製薬との事業開発が始まりました。

「SWIFT」の将来展望

「SWIFTシステム」の仕組みはうつ病の臨床現場だけでなく、その他の研究分野への応用・発展が期待できます。例えば、ウェアラブルデバイスで取得できる客観的指標と機械学習の組み合わせは、薬が効きやすい患者と効きにくい患者を予測したり、効果の出やすい治療方法を機械が予測して提案したりといったことも、将来的にはできるようになると考えています。

「SWIFTシステム」の最大の課題は、「いかに精度を上げていくか」です。最終的に医療機器として充分に使える精度を担保することが目標です。データへの信頼性を高めるための臨床研究には時間を要しますし、同時にシステムの構築も予定しているため、長期的な改善を続ける予定です。

そのほかにも、大日本住友製薬フロンティア事業推進室では、自社がもつ精神・神経疾患領域における医薬品の研究開発で培った知⾒と、ビジネスパートナーの独自技術や知見、特許をかけ合わせることで、研究や事業開発に取り組んでいます。パートナー企業としてコラボレーションの可能性を検討いただけそうな方は、ぜひお問い合わせください。


<出典情報>

  • ※1川上憲人:精神疾患の有病率等に関する大規模疫学研究:世界精神保険日本調査セカンド総合研究報告書、2016
  • ※2平成22年度厚生労働省障害者福祉総合推進事業「精神疾患の社会的コストの推計」 事業実績報告書(学校法人慶應義塾)